■ ガネーシャ通信(6) 養牛院への誘い 「インドといえば牛」と切り出すと、もう聞き飽きたと言われかねません。 それでも、インドには牛と水牛合わせれば4億頭は下らないというのですから、 やはりインドに牛がひしめいているのは間違いない事実なのです。 それでは、インドが「牛天国」かと聞かれると、 とてもうなづけそうにはありません。確かに乳が出る間はそれなりに可愛がられますが、乳が止りもはや養う余裕なし、 と飼主たちが見切りをつければ、「聖なる雌牛様」は街に放たれ、野良牛に”身” を落とすのです。慢性的に腹をすかせた野良牛たちは、骨ばった巨躯をのそりの そりと揺らし、街角のごみ捨て場をはしごします。背中にカラスを乗せて、毛の 抜けた野良犬たちと一緒に黙々とごみをあさる野良牛の姿は、人も大変だけど、 牛も大変と同情の念を禁じえません。胃袋がたくさんあるだけに、空腹感もわれ われの数倍でしょう。もはや好き嫌いを言っている余裕はなく、口に入るものな ら何でも呑みこむため、ビニール袋を胃に詰まらせて昇天する野良牛も多いと聞 きます。 もっと運悪ければ、トラックの荷台に乗せられて西ベンガル州や ケララ州に運ばれて行きます。 その地には公営の屠場があるためです。 一方、ゴーシャラ(GOSHALA)、もしくはピンジラポーレ(PINJRAPOLE)と 呼ばれる養牛院に収容される幸運な牛たちもいます。ゴーシャラは牛専用、ピン ジラポーレは生きとし生けるもの全ての収容施設で、その起源は前者が12世紀、 後者が3世紀のアショーカ王の時代にまでさかのぼるとのことです。「インドな らではの寛容さ、不殺生の原理(アヒムサー)の表れ」と持ち上げる人もいれば、 「インドの不合理の象徴。役立たずの老牛に貴重な飼料を与えるなんて無駄の極 みで、牛より人間を助けるべきだ」と批判する人もいて、賛否両論です。 そんな論議は、”牛の耳に念仏”ですが、 いい匂いの草が一面にひろがる養牛院の広い敷地で、世話される牛は、他の牛か ら見れば垂涎の的でしょう。それとも、ひとり気楽に都市という枯野をさまよう ほうが、牛冥利に尽きる余生なのでしょうか? (By 石井 吉浩) |
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